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秋入学は秋入試を採用してこそ意味がある
最近、秋入学が話題になっています。
留学しやすくなるとか。

でも、自分に言わせれば、それは本質ではありません。
秋入学によって、夏〜秋入試が実現することこそ、
秋入学の最大のメリットなのです。

もっと端的に言うと、春に入試をやらないようにする。
それが一番大事なのです。

2000年代前半(少なくとも2002年の3月よりは前)の
蛍雪時代か蛍雪webに、このような記事がありました。
(今、探したのだけれど見つからず・・・)

花粉症のせいで受験勉強に集中できず、
受験に悔いが残っているという学生が大量にいる
というアンケート結果が得られた、と。

受験は、合格する人がいれば、ダメな人もいる。
合格者の数は変わりません。でも、大事なのは、
悔いが残るような受験制度にしないことです。

そのためにも、春入試を止めることには、大きな意味があるのです。
東大の人たちは、その本質を理解した上で議論してほしいものです。
続きを読む >>
| - | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
僕は一年前、日本にいれなかった。
一年前、僕はアメリカ西海岸サンディエゴにいました。
twitterをみながら、日本で何かが起きていることに気づき、
そしてその後はNHKを勝手にUstream配信してくれる少年に
感謝しながら、パソコン画面や、当時日本ではまだ発売
されていなかったiPad2の画面に釘付けでした。

その件についてNAVERまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133101089018373101

このまとめは、少年や関係者の行動についてよくまとめているのだけど、
それが実際どのような人を救ったのかは言及がありません。
それはきっとテレビを見れない環境にある人です。

そこでまず思いつくのは、停電した環境にあって、
しかし充電済みの携帯ではこの配信を見ることができた人。
そのような人がどれだけいたのか、僕には分かりません。
ただ、テレビを見れない環境にある人は、他にもいました。

海外にいる日本人です。日本のことが気になってしょうがなくて、
でも日本のテレビは見ることができない。ネットは使えるけど、
でも日本の報道が知りたい。そんな僕らにとって、
この少年が始めたUstream配信は、その後の公式の配信も含めて、
本当に大きな情報源であり、そして心の拠り所になりました。
その意味で、本当に感謝しています。

今回の震災によって、ソーシャルメディアの価値を知ることが
できたという面もあった。そんな評価も聞きます。
同意します。海外にいてそれを痛切に感じました。

しかし、同時に、副作用もあった。

僕は、あまりにもの出来事に画面からの衝撃を受けすぎました。
翌朝から、気が滅入っている自分に気づきました。
それでも画面から目が離せません。ますます気が滅入りました。

それにも関わらず、僕は日本にいません。避難所に行く必要もなければ、
帰宅難民にもなっていません、節電もしなくてよければ、スーパーに
行けば辛ラーメン以外の麺だって売っています。そんな困難が少しずつ
解決されていったとき、少しずつストレスがやわらいでいくとすれば、
僕はストレスのインプットは画面からたっぷり受けたのに、
ストレスを出していく何かを持ち備えていませんでした。

アイデンティティを感じるlocationという問題もあったかもしれません。
日本に住んでいれば、自分の住んでいるエリアというものがあります。
そして自分の隣県の災害は身近に感じるというものがあります。
福岡出身熊本配属の僕は、宮崎県の台風被害に詳しく、一方で東北や
北海道の地震被害のことはあまり興味を持たなかったわけです。
それはきっとニュースの量だけでなく、肌で感じる被害の大きさ
というものがあって、その感じられる度合いが小さいと、
人はそのイベントのウェイトを小さく認識するのではないでしょうか。

ただ、海外に住む僕らにとってアイデンティティを感じるのは、
日本全体だったりするのです。海外に住むことで、ますますそれが
強くなっていたりします。どんな衝撃的な映像をみても熊本にいたら、
ウェイトをちょっとだけでも小さくすることができたかもしれません。
(これは熊本人を批判しているわけではなくて、当然のことだと思います)
それができなかった。これがストレスを抱えた理由なのかもしれません。

この頃、サンディエゴでのクラスメイトは、僕に「家族は大丈夫だった」と
きいてきて、僕は「my family is. but not all the family in Japan is.」
みたいなことを言ってしまっていました。悪いことをしました。
それは心配していってくれるのはわかっているんだけど、でもついつい。
まあ、この感覚は今でも少しあって、今でも僕は東北関係の人には
「家族は大丈夫だった?」と聞けないでいます。
(もちろん、大丈夫だったという話を聞くと、すごくうれしいのですが。)

少しでも滅入る気持ちをどうにかしようと、たしかアメリカ時間3.11の夜は
焼肉を日本人で食べにいきました(3.12だったかもしれないですが)。
チャリティイベントを立ち上げて、大学全体で募金活動もしました。
伊集院さんのラジオをなんとかして聞いたりもしました。
ただなんというか、風邪薬のような、症状を少し弱めても、
何か解決されてない感じというのは残っていたような気がします。

それが影響したのか、様々なコミュニケーションがうまくいかなく
なることもありました。やたらと怒りっぽく、涙もろくなっている自分に、
まずいなという自覚もありました。色んなことが手につかず、
それまで先送りしていたCFA試験の再申し込みは、最終締切を過ぎました。
(まあこれは、そうでなくても見送っていたかもしれませんが)

そしてその三ヵ月後、日本への帰国が迫ってきます。
これは複雑な心境でした。
「これで日本人の輪に入れる」というような安心感のような気持ちと、
でも「海外でも結構ストレスだった」なんていうのは、
絶対に分かってもらえないだろうなーという不安。

帰国してみると、どちらも正解。
余震で地震をミニ追体験したり、反応も日本人らしくなってきたり。
石巻にボランティアに行って、がれきを運んでいると、
日本のためになることをしたという感覚で、少し気が落ち着いたり。
まあ海外で感じたストレスの話はやっぱり理解されない。
でもそういった周りの反応をみながら、自分のポジションを
日本の中に置いていった感覚がありました。

そうやって僕は日本での日常生活に戻ることができました。
東北関係者が普通に生活している中、思いっきり九州・中国関係者の自分が
まあこの辺りかなというところの生活です。

ただ、今年の3.11が近づいてくると、少し不安になったりもしました。
みんなが一年前の経験をそれぞれ思い出す中で、
僕には思い出すべき日本での経験が無い。
まあこの感覚は、これからも毎年消えないでしょう。

だからといってそれを埋め合わせるように、何かイベントに参加するのも…
ちょっと自分には違うのです。
できる限りの日常生活を送りたいなと思ったのです。
それが一年前の自分が一番欲していたものだから。

だから昨日はNAFAセミナーの講師をやって、
夜はその補足ノートを編集して、
今日は朝からTACに行ってCFAリベンジのための勉強して、
そんな自分への応援に女子たちが水道橋に集合してるのか?
なんて少しふざけてみたり、
でも地震の時間だけは外に出て黙祷して、
その後は妹の合格&就職祝いで焼肉。

これが、僕にとって大切な日常なのです。
今年は少し不自然だったかもしれませんけど。

こんな日常を、少しずつ多くの人が過ごせるように
なっていくといいですね。人によっては3.11だけは別にしても。
なんて他人事のように思っていますが、それが僕の素直な気持ちです。

みんなに日常が戻りますように。

おやすみなさい。
よい夜を。
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